現存天守12城+厳選天守18城を紹介!

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現存天守12城 (国宝五城

姫路城  松本城  彦根城  犬山城 
松江城  松山城 備中松山城 丸岡城 
高知城 丸亀城 宇和島城 弘前城

厳選天守18城

松前城 会津若松城  白石城 新発田城 
小田原城  掛川城  名古屋城  岐阜城
越前大野城 福知山城 大坂城 和歌山城
岡山城  福山城 広島城 岩国城
大洲城 島原城    

姫路城  himeji-jyo
とにかく美しい!日本が誇る世界遺産

8棟の国宝が織りなす華麗で優美な天守群

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兵庫県姫路市本町68

2015(平成27)年、壁の漆喰が全て塗り直されて真っ白に生まれ変わった。瓦と瓦の継ぎ目にも漆喰を盛って塗っているのが、屋根までも白く見える秘密。誰もが見とれる天守群の造形美がなによりの魅力だが、美観と実用を兼ね備えているのも姫路城の特長。天守内部の戦闘のしかけや、トラップ満載の道のりも楽しもう。
姫路城

姫路城

松本城  matsumoto-jyo
日本で唯一!漆黒の現存五重天守

北アルプスを借景に凛とたたずむ国宝天守

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長野県松本市丸の内4-1

現存する5棟の国宝が連結。中央の大天守と左の小さな乾小天守は渡櫓で連結され、赤い廻縁・高欄がついた月見櫓は、辰巳附櫓で大天守とつながっている。5棟が増築され完成しているのが最大の特長。戦乱の世に築かれた前者3棟と、太平の世に築かれた後者2棟では、構造や意匠、内部の雰囲気が大きく異なる。
松本城

松本城

松本城 御朱印

松本城

彦根城  hikone-jyo
コンパクトだけどとってもおしゃれ

破風の数はNo.1!スタイリッシュな国宝天守

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滋賀県彦根市金亀町1-1

高さは約21mと小ぶりでつくりも古式ながら、さまざまな破風をふんだんに配した天守。華頭窓が二重目と三重目に連続するのも、この天守だけ。梁行に対して桁行が長い長方形のため、見る角度によって表情が違うのも魅力。隠し狭間や最上階の隠し部屋など、戦いのための秘策もたくさん隠されている。
彦根城

彦根城

彦根城 御朱印

彦根城

犬山城  inuyama-jyo
天守最上階からの眺望がとにかく◎!

木曽川の断崖に凛と立つ古風な国宝天守

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愛知県犬山市犬山北古券65-2

木曽川沿いにある標高80mの断崖上にそびえる天守は、高さ約19mと小ぶりながら、すらりと長身に見える。最上階の廻縁(バルコニーのような渡り廊下)からの絶景が見どころ。木曽川や濃尾平野が一望できるほか、晴れた日には遠くに岐阜城、名古屋城、小牧城まで見渡せる。濃尾国境を制した気分になれるだろう。
犬山城

犬山城

松江城  matsue-jyo
63年ぶり!2015年、天守が国宝に

外観とうらはらに内部は戦闘モード!

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島根県松江市殿町1-5

千鳥が羽を広げたように見えるバランス美から別名・千鳥城と呼ばれるが、内部はかなり実戦仕様。天守から付櫓に向かって『狭間』という攻撃用の小窓が設けられていたり、地階に井戸があったりと、籠城戦の構えがある。柱に板を張り金具や鎹で留めた『包板』は全国唯一の現存例で必見。最上階からの城下や穴道湖の景観も見事。
松江城

松江城

松山城  matsuyama-jyo
ロープウェイで山頂へ。天守からの眺望は格別!

重要文化財の宝庫!壮大な石垣も見もの

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愛媛県松山市大街道3丁目2-46

松山市の中心部、標高132mの勝山山頂に天守が現存する。天守が小天守や南隅櫓、十軒廊下、北隅櫓などとつながる連立式天守。城内には計21もの重要文化財があり、本壇の入口周辺も櫓や門、土塀が多く現存。迷路のような道のり、方向感覚を失う設計、壮麗な高石垣など見どころ満載。天守最上階からの絶景も◎。

備中松山城  bichu-matsuyama-jyo
山上に残った神秘の現存天守

日本でいちばん高いところに現存する天守


岡山県高梁市内山下1

標高430mの小松山山頂に築かれた、日本でただひとつの現存天守がある山城。天守のほか、二重櫓も現存。江戸時代に藩主の生活や日常の政務が行われていた、山麓の御根小屋跡もよく残る。岩盤と石垣のダイナミックなコラボレーションも見どころ。『備中の小京都』と呼ばれる、情緒ある城下町歩きも外せない。

丸岡城  maruoka-jyo
石瓦が葺かれた古式ゆかしい現存天守

屋根に隠された、寒さから身を守る秘策


福井県坂井市丸岡町霞町1-59

北陸地方で唯一の現存天守。最大の特長は、屋根瓦。豪雪地域につき一般的な土瓦では寒さに耐えきれず割れてしまうため、『シャクダニイシ』と呼ばれる近隣の足羽山で採れる石を使った瓦が葺かれている。越前青石とも呼ばれるブルーグリーンの石で、濡れると青みがアップする。雨の日には憂いを帯びた表情に変化するのも、丸岡城の魅力。
丸岡城

丸岡城

高知城  kochi-jyo
山内一豊が築いた南海の名城

本丸御殿、大手門が天守とセットで撮れる!

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高知県高知市丸ノ内一丁目2番1号

天守だけでなく、本丸内の建造物がほぼ完存していることが最大の魅力。11棟の現存建造物が本丸に集結していて、本丸というスペース内で門や櫓などの建造物がどうレイアウトされ、連動していたかがわかる。1階と2階が立体交差する珍しい構造の詰門のほか、石樋、物見窓、忍返など、高知城にしか現存しないアイテムも満載。

丸亀城  marugame-jyo
ヨーロッパの城塞のよう!

4段の石垣上に鎮座する日本最小の現存天守

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香川県丸亀市一番丁

小さな天守が少しでも大きく見えるよう、工夫されているのが特長。内部も、通柱を使わずに各階に柱を建てることで逓減率を大きくしている。一重目が東西に長いのに、最上重の入母屋屋根の棟を南北にとる構造も、北面に入母屋破風の妻面を向けるためだろう。本丸まで4段に重なる石垣の高さは60mで、累計では日本一。

宇和島城  uwajima-jyo
日本でいちばんピースフルな現存天守

太平の世につくられた戦闘色ゼロの天守


愛媛県宇和島市丸之内1

築城されたのは1956(慶長元)年だが、現存する天守が築かれたのは70年後の1666(寛文6)年。すでに平和な世ゆえ、戦闘は前提にしていない。そのため、天守に狭間や石落としはない。破風の内側が射撃スペースになることもなく、ただの装飾用の窓にすぎない。天守内部も屋敷のようなつくりで、居心地がよいのが特長。

弘前城  hirosaki-jyo
現在、天守はお引っ越し中!

桜の名所としても知られる東日本唯一の現存天守


青森県弘前市大字下白銀町1番地1

現在の天守は1810(文化7)年に建造。初代の五重天守は1627(寛永4)年に落雷で消失したため、本丸辰巳櫓の改築という名目で再建された。櫓のため装飾が城外側の2面しかないのが特長。城門が5棟、櫓が3棟現存するのも大きな見どころ。とくに城門は必見で、骨太で頑丈。豪雪地帯らしい工夫が見逃せない。

松前城  matsumae-jyo
北海道にある唯一の天守

戊辰戦争の戦火を逃れるも戦後に火災で焼失


北海道松前郡松前町松城144

松前藩が外国船の出没に備えて幕末に築いた、我が国最後の日本式で築かれた城。海防目的のため、松前湾に向かって7つの砲台と25の砲台を備えていた。しかし背後の守りは手薄だったため、戊辰戦争で土方歳三ら旧幕府軍に攻められ落城。天守は無事だったものの、1949(昭和24)年に惜しくも火災で焼失してしまった。

会津若松城  aizuwakamatsu-jyo
赤い天守にリニューアル!

1ヶ月の籠城に耐えた東北随一の堅城


福島県会津若松市追手町1-1

天守は幕末の戊辰戦争で1日2500超の砲弾を浴びながらも持ち堪えたが、1874(明治7)年に破却。取り壊し直前に撮影された古写真などをもとに、1965(昭和40)年に外観復元されている。蒲生氏郷が前身の黒川城を大改修して会津若松城と改め、後に加藤明成が改修。蒲生時代の天守は七重だったともいわれる。
鶴ヶ城

鶴ヶ城

白石城  shiroishi-jyo
木造で復元された天守匹敵の三階櫓

特別に存続を許された政宗の近習・片倉小十郎の城

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宮城県白石市益岡町1-16

1602(慶長7)年に伊達政宗の重臣・片倉小十郎景綱が配され、幕末まで片倉家が城主を務めた。1615(元和元)年の一国一城令でも例外的に廃城を免れ、伊達藩南端の押えの城として機能。天守に相当する三階櫓は1874(明治7)年に取り壊されたが、1823(文政6)年に再建された姿が1995(平成7)年に木造で復元されている。

新発田城  shibata-jyo
3つのシャチホコが載る珍しいデザイン!

木造で復元された丁字型屋根の天守代用櫓


新潟県新発田市大手町6-4

本丸西端に建つ御三階櫓は、1679(延宝7)年に2階から3階に改造。御三階櫓と名を変え、天守代用とされた。1872(明治5)年に解体されたが、2004(平成16)年に古写真をもとに木造で復元されている。最上階の屋根が丁字型の入母屋になっていて、大棟には3尾のシャチホコが載る珍しい構造。
新発田城

新発田城

小田原城  odawara-jyo
新幹線から見える小田原のシンボル

2016年にリニューアル!展示も一新された

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神奈川県小田原市城内6-1号

北条氏の本城を、滅亡後に徳川家康家臣の大久保忠世・忠隣が石垣を用いた城に大改修。大久保氏が改易後、1633(寛永10)年に稲葉正勝により再び本格的に改修された。現在の天守は、1706(宝永3)年に大久保忠増により再建された際の雛型や絵図などを参考に、1960(昭和35)年に市制20周年記念事業として再建されたもの。
小田原城

小田原城

掛川城  kakegawa-jyo
高知城をモデルに再建された

木造で蘇った山内一豊が築いた天守


静岡県掛川市掛川1138-24

1590(天正18)年に入った山内一豊が城を拡張し、三重の天守を建てて城下町を整備した。天守は1854(嘉永7)年の安政の東海大地震後に取り壊せれたが、1994(平成6)年に木造で再建。高知城の天守と似ているのは、参考にしているから。後に一豊が築いた高知城と同じだったという記録がある。全国的に貴重な二の丸御殿は必見。
掛川城

掛川城

名古屋城  nagoya-jyo
本丸御殿が復元!

天守とともに空襲で焼失した本丸御殿が復元

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愛知県名古屋市中区本丸1-1

大坂城を牽制するために天下普請で築かれ、やがて尾張徳川家の居城となった鉄壁の城。五重の天守には金のシャチホコが乗り、小天守と連結していた。1945(昭和20)年5月の空襲で全焼し、1959(昭和34)年に再建されている。城内には3つの櫓が現存。西北隅櫓は清洲櫓とも呼ばれる三重櫓で、清洲城天守の移築ともいわれる。
名古屋城

名古屋城

岐阜城  gifu-jyo
天下統一を掲げた織田信長の拠点

天守最上階からは大パノラマが広がる


岐阜県岐阜市金華山天主閣18番地

標高329mの金華山に築かれた山城。戦国時代に斎藤道三が築いた稲葉山城を、織田信長が大改築。岐阜城と改め、この城で天下布武を唱えた。もともと天守はなく、現在の天守は1956(昭和31)年に観光目的で建てられたもの。最上階からは眼下に清流長良川が流れ、濃尾平野を一望できる。

越前大野城  echizenono-jyo
山上に残る石垣と城下町が魅力

標高249mに建ち雲海に浮かぶ姿も話題

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福井県大野市城町3-109

大野の一向一揆を平定した恩賞として、金森長近が織田信長からこの地を拝領。1576(天正4)年から4年の歳月をかけて築城された。天守は二重三階で、本丸には二重二階の小天守、天狗櫓などが置かれていた。明治に入ると建物は破却。天守は1968(昭和43)年に、絵図や同時代の天守を参考に推定して再建されたもの。

福知山城  fukuchiyama-jyo
バチあたり!?天守台に釘付け

五輪塔や宝篋印塔が詰め込まれた風変わりな天守台に注目


京都府福知山市字内記5番地

1580(天正8)年頃、丹波を平定した明智光秀が丹波の拠点として新たに築いた城。明治に入り廃城令が公布されると石垣と銅門番所以外は取り壊されたが、天守は市民の熱意により1986(昭和61)年に再建された。最大の特長は、天守台の石垣。五輪塔・宝篋印塔、一石五輪塔、石仏、笠塔婆、石臼などが大量に使用されている。

大坂城  osaka-jyo
『太閤・秀吉の城』ではありません!

豊臣家の滅亡後、徳川幕府が築いた城

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大阪府大阪市中央区大阪城1-1

現在の大坂城は、豊臣秀吉が築いた大坂城を完全に埋め立てた上に築かれた、徳川幕府の城。天下普請により1620(元和6)年に築城開始され、1629(寛永6)年に完成した。天守は1931(昭和6)年、徳川時代に天守があった場所に建てられたもの。徳川時代の天守に最上階だけ豊臣時代の天守を取り入れたデザイン。

和歌山城  wakayama-jyo
緑の石垣が印象的な紀伊徳川家の居城

再建された天守のほか3期に渡る石垣も見どころ

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和歌山県和歌山市一番丁3番地

羽柴秀長が築き、関ヶ原合戦後に浅野長政が大改修し天守を建造。1619(元和5)年に入った徳川家康の10男・頼宣が御三家にふさわしい城にすべく大拡張を行い、現在の姿になった。天守は小天守、乾櫓、二の門などが多聞櫓でつながれた連立式天守。1850(嘉永3)年に再建されたが空襲で焼失し、1958(昭和33)年に再建されている。

岡山城  okayama-jyo
カッコいい天守にほれぼれ!

旭川のほとりに建つ複雑なフォルムの天守

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岡山県岡山市北区丸の内2-3-1

宇喜多秀家が築き、関ヶ原合戦後に小早川秀秋や池田氏により整備拡張された。別名・烏城と呼ばれるのは、天守の下見板に黒漆が塗られ、陽射しを受けると烏の羽色のように重厚感のある輝きを放ったから。金箔瓦が飾られていたことから、金烏城とも呼ばれる。空襲で惜しくも焼失し、1966(昭和41)年に外観復元された。
岡山城

岡山城

福山城  fukuyama-jyo
1面だけが真っ黒!

新幹線のホームから見える日本でいちばん駅近の城


広島県福山市丸之内一丁目8

城内をJR福山駅と線路が貫通しているため、新幹線や福塩線のホームから天守や伏見櫓が間近に見える。外様大名領が広がる西国における徳川幕府の重要拠点で、御三家でも許されなかった五重天守も築かれ、松平氏、阿部氏と譜代大名が歴代城主を務めた。天守は1945(昭和20)年の戦災で焼失し、1966(昭和41)年に再建されている。

広島城  hiroshima-jyo
原爆で一瞬にして倒壊した悲しい歴史ある天守

大大名にふさわしい広大な城と威厳ある天守

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広島県広島市中区基町21-1

毛利輝元が10年がかりで築いた、格式高い巨城。豊臣秀吉が立ち寄った際には、その出来映えを絶賛したともいわれる。天守は五重五階で、東と南に小天守を連ねた連結式天守だった。昭和に入っても威容を誇っていたが、原爆で一瞬にして倒壊。1958(昭和33)年に再建され、現在は広島のシンボルになっている。

岩国城  iwakuni-jyo
綿帯橋とセットで撮影したい

山麓から見上げる姿も、天守からの眺めも◎


山口県岩国市横山3丁目

1962(昭和37)年に再建された天守は、山麓から見上げたときに綿帯橋とセットで美観が完成するように建てられている。50mほど北方に、本物の天守台が復元整備されている。天守は三階よりも四階、五階よりも六階が大きく張り出した南蛮造りという特殊な形式。完成からわずか7年で、一国一城令により破却されてしまった。

大洲城  ozu-jyo
肱川から見上げるのも◎!

豊富な史料が叶えた忠実な木造復元天守

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愛媛県大洲市大洲903

2004(平成16)年に復元された天守は、戦後はじめて築城時の工法で木造復元された天守。忠実な復元を叶えたのが、大洲藩作事方棟梁であった中野家に残されていた天守雛形の存在。そのほか、古写真や絵図なども天守雛形の不明瞭な点を補い合う重要な史料になった。地元産のヒノキができるだけ使用されるなど、こだわり抜かれた復元天守だ。

島原城  shimabara-jyo
島原の乱の舞台になった悲劇の城

立派すぎる城が壮絶な一揆の引き金に

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長崎県島原市城内一丁目1183-1

島原城を築いたのは、1616(元和2)年に入った松倉重政。4万石とは思えない立派な島原城の築城が、1637(寛永14)年に勃発した島原の乱の一因になったといわれている。現在の天守は1964(昭和39)年に復元されたもので、内部は資料館になっている。かつては外郭に33棟もの櫓があり、三階櫓、二階櫓、平櫓が連なっていた。